2012年 08月 09日
「名号に心をいるるとも、こころに名号をいるべからず」一遍智真『一遍上人語録』より 「名号」とは南無阿弥陀仏。 「こころ」とは、「自分の力でなんとかしよう」とするこころである。 極楽往生は自らの力で成すものではない。 阿弥陀仏によって成されるものである。 凡夫というものは常に自らの力でなんとかしよう、何とかできると思い、事象に囚われてしまう。 それを我執という。 よく我執を捨てよ、と言うが我執は捨てられないものである。 覚りとは我執の我なぞない、と覚ることである。 極楽浄土とは覚りそのものである。 覚りも極楽浄土も我執を離れたところにある。 そして、仏教とは覚ることであり、覚ることが仏教である。 俺が、私が、極楽浄土へ往く、のではない。 覚りに俺も私もないのである。
by hechimayakushi
| 2012-08-09 20:52
| ことば
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