2012年 10月 08日
「日本の僧俗、あるいは頌(しょう)をつくり、歌をよみ、名頌の道歌などという事多し。これ「慰み仏法」といふものなり。(略)人貴きことに思へば、自らも仏法と思うて、醜句の様な事をいうものあり。これ「デキ口仏法」といふ物なり。真のほか、いまどき邪解数を知らず。「向上仏法」「サビ仏法」「活達仏法」「ダテ仏法」「悟仏法」「ゴ仏法」。(略)皆これ痛なり」 鈴木正三『驢鞍橋』より 実に良き戒めの文。 「人」が偉いのではない、「仏」が偉いのである。 「仏」が偉い、というのは「教法」が偉いのである。 そこを踏み外すのが「魔境」なのであろうか。 我々はどうしても「値打ち」のある・ないを考えてしまう。 「仏」からみたら「値打ち」なんてものはない。 「仏法」とは「値打ち」から離れることである。 だが、それがなかなか出来ないのもまた、「人」というものである。
by hechimayakushi
| 2012-10-08 01:15
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