へちま薬師日誌

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2013年 09月 03日

『なぜこんなに生きにくいのか』第二回

本を読む第二回
『なぜこんなに生きにくいのか』南直哉著・新潮文庫
曹洞宗の僧侶である南直哉師の著作。

前回はこの本の簡単な紹介をさせていただきました。
今回は内容について書きたいと思います。

この本の第一章は「なぜこんなに生きにくいのか」です。
著者の南直哉師は現代の生きにくさ、生きにくいと思っている人たちが何故生きにくいと思っているのかを、まず「誰かに認められたいけれども認められていない」ことから発生していると書かれています。
その認められる・認められないというのは仕事であったり趣味であったりその人そのものであったりするでしょう。
食べ物も着るものも住むところもあるにもかかわらず、何か生きにくい世の中だと思う人は多いはずです。
そして年々増え続ける自殺者の数、孤独な状況に置かれる人の数は多くなっています。
著者はそうした人々は自分というものの見かたを狭めている傾向があると書いています。
一つの見かた、特定の見かたしかないと思い込んでしまう状況に置かれているということでしょう。
それを変える手段として仏教が有効ではないか?と書いています。
前回にも書きましたが、著者は仏教を通して、または仏教を活用して「生きにくさ」を克服できないか?という事をこの本の一貫したメインテーマとしています。
では、その「生きにくさ」とは何か?というのが第一章の主題となります。

その第一章で私が特に関心を持ったのが、「オンリーワンはナンバーワンよりきつい」という内容です。
これは『世界に一つだけの花』という有名な歌についての考察です。
著者はこの曲を聞いた時に「悲惨な歌」だと感じたとあります。
それはこの歌にある「No.1にならなくてもいい もともと特別なonly one」というフレーズの特別なオンリーワンとは「花」であるから成立するというところです。
私自身もそう感じたから非常に共感できるのですが、著者の言うようにこの歌では「花」だからこそ「オンリーワン」になれるのであって、「石」ではそれが成り立たないということです。
しかもその花は「店先にならんだ」つまり「選別されて商品価値のある花」の中のさらに「選別された一つの花」となります。
それはつまり、この歌での「オンリーワン」とは他者によって選別されて成り立つものである、ということです。
常識的に自分自身でオンリーワンと評価することは無いので、誰かに認められてはじめてオンリーワンとなることができるということです。
私はこの歌を聞いた時になんとも言えない違和感を感じたのですが、上手く言葉にできませんでした。
この本では私の感じた違和感が上手く言葉で説明されています。

ここで私が思う大事だと思うことは、この歌にある「オンリーワン」という言葉の持つある種の残酷さをどう見るか。
仏教という「フィルター」で物事を見ると、全てのものはオンリーワンになります。
ただし、そのオンリーワンとは「全ての事象は縁によって生じ縁によって滅びる」という《縁起思想》という仏教的な見かたによるものです。
花であろうが石ころであろうが、それぞれがそれぞれの縁によって生じたものなのです。
それに「特別な花」「特別な石」ということはありません。
言い方を変えれば、「全てのものは特別」なのです。
同じような花であっても、同じような石であっても、それぞれがそれぞれの縁によって生まれたから、それぞれ違うものなのです。
これは極めて大事な仏教的なものの見かたなのです。
それを「特別」というのは他者の選別の心で見た状態であるというだけなのです。


続く
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by hechimayakushi | 2013-09-03 01:32 | 本を読む | Trackback | Comments(0)
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