2013年 10月 18日
「[さとり]というものは、それを一言でずばりと表現するならば、それは[直感]であるということができます」『釈尊のさとり』より増谷文雄著 先月は仏教における「さとり」と「苦」について書きました。 今月はその「さとり」について書きます。 私は便宜上「悟り」という表記を用いて書いてきましたが、「さとり」でも「覚り」でも「正覚」でも「覚悟」や「証悟」や「征悟」でも表記としてはどれでも良いと思いますが、今回からは「さとり」を用いる事にします。 大事なのはその主語となる語であり、仏教における真理、教理の中心となるのはガウタマ・シッダールタの「さとり」なのです。 仏教における最大の重要案件はガウタマ・シッダールタつまりお釈迦さま・ブッダの「さとり」ですが、これが未だに何であるのか、どういったものなのか?の議論を尽きることはありません。 よく私達は「さとり」という語を使います。 それはどのような時に使うでしょうか? おそらくは何か閃いた時、何かが感覚的にわかった時に使うのでは無いでしょうか? ブッダの「さとり」もおそらくは直感的な閃きであったのでしょう。 しかし、これも諸説あります。 ここで「さとり」を少し整理してみます。 ブッダは「さとり」をひらかれました。 これを信じるか否か、は人それぞれとなります。 仏教徒であるということはブッダがさとりをひらかれた事を信じるということですし、そのさとりを信じるということになります。 私はもちろん仏教徒ですので、さとりをひらかれたことを信じていますし、さとりを信じています。 次にいつ?どこで?となります。 南伝仏教の小部経典『自説経』(ウダーナ)の菩提品という部分には・・・ 「ある時、世尊は、ウルヴェーラー(優楼頻螺)のネーランジャラー(尼連禅河)河のほとり、菩提樹のもとにあって、初めて正覚を成じたもうた」とあります。 時期に関しては諸説ありますが、日本では12月8日の明けの明星輝く頃、とされています。 ちなみに年代に関しては北伝と南伝ではブッダの生きた年代が100年ほど違いますのでよくわかりません。 世界的に見れば南伝に伝わる年代を基とすることが多いのですが、確認する手段がないため、何年ごろかは不明となります。 ウルヴェーラーとは村の名前で、古代インドのマガタ国の迦耶(ガヤー)城付近、ネーランジャラー河(尼連禅河)の左岸にあった村の名だそうです(現在のビハール州) 次にどのようにしてさとりをひらかれたか?となります。 「そして、わたしは、そのわざわいなる所以を知り、その執着すべからざることを知り、そを出離せんことを思うにいたった」南伝・中部経典『聖求経』/漢訳・中阿含経『羅摩経』より 先月に書いたように生きるに当って発生する「苦」からの脱却を目指してブッダは出家者となり、様々な「道」を求められることになります。 クシャトリアという支配者階級で生活には何不自由することがなかったブッダですが、「苦」からの脱却を目指すには出家しかない、と思うようになったのには当時のインドでは五火・二道説という輪廻思想からの脱却を目指す為に家や家族を捨て、修行や瞑想を行う人々が数多くいまして、そうした人々にならったからでしょう。 古代インドで出家を意味する言葉としては「プラヴラージャカ」(出かける、の派生語)「パリヴラージャカ」(歩きまわる、の派生語)「ビクシュ」(食物を乞うの派生語・比丘の原語)等があり、家や家族や財産を捨てて遊行生活を送り解脱を目指す人々が一般的に存在していたのです。 ブッダもそのような出家者となり、苦しみからの脱却を目指し、アーラーラ・カーラーマ師とウッダカ・ラーマプッタ師のもとで瞑想(禅定)による解脱を目指します。 すぐに各師の教えを理解し習得しますが、彼らの教えでは苦しみからの脱却は不可能だと判断し、苦行に身を投じる事になります(各師の教えは瞑想により感覚や思考を停止させる事とされていますが、瞑想中は苦が発生しなくても瞑想をやめたら元通りになってしまったためにブッダは各師から離れたのだと推察されています) また、苦行を六年間行いましたが、これも苦が消えるわけではなく、思考停止状態になるだけだと判断し、やめてしまいます。 そして、スジャータという娘から乳粥の施しを受けて苦行で失った体力を取り戻し、傷ついた身体をネーランジャラー河で沐浴し清め、菩提樹の下で瞑想(禅定)することになります。 ここで問題となるのは、なぜ瞑想(禅定)なのか?ということです。 出家して弟子入りした二人の師も瞑想(禅定)によって解脱を目指す方法をとっていました。 しかし、ブッダはそれでは解脱はかなわないと判断しました。 なぜまた瞑想(禅定)なのでしょうか? 諸説ありますが、まず苦行では解脱なり苦しみからの脱却なりはかなわないと知ったからでしょう。 かと言って安楽な生活を続けても解脱や苦しみからの脱却はかないません。 そこで瞑想(禅定)しか方法はないと判断されたのでしょう。 しかし、各師のように思考や感覚の停止を目指すのではなく、徹底した思惟(考えて思い巡らす)による解脱を目指されたのだと思います。 そうして菩提樹の下で瞑想(禅定)に入って八日目に「さとり」に到達することになるのです。 ブッダの判断は間違っていなかったのです。 次に我々にとって最大にして最重要な問題、冒頭に書いたように「さとり」とは何か?ということになるのです。 また、その八日間の間に何が起こったか? 「さとり」の後、どうなったのか? 以下次回に続きます・・・・
by hechimayakushi
| 2013-10-18 00:58
| ことば
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