2015年 09月 04日
『私説法然伝』(8) 出家への道③ 先月号では、「出家」を中心に仏教の修道のプロセス並びに方法論について書きました。今月はその「多様化」について書きます。 「諸々の生産活動を放棄して出家し俗世間と離れ、、戒と律の順守により、悪業(生産活動により生み出される悪い因縁)を生み出さない環境に自らを置き「さとり」を目指す修行(一般的なイメージでは修行には苦行のイメージがあり、より具体的な内容で言うならば精神を統一し自らの有り様を見つめ仏教的な解脱を目指す行為)をスムーズに行える状態を目指していくのです」 と先月号に書きました。これを仏教の用語で「三(さん)学(がく)」(戒・定・慧)と言いまして、仏教の実践過程というのはこの「三学」につきると言えます。 ただし、その具体的な実践方法は時代と地域によって多種多様に変化していくのです。それはお釈迦さまの時代から始まっていたのです。僧伽(そうぎゃ)(サンガ)におけるルールとなる「律」は「四分律」ですと男性出家者で二五〇、女性出家者で三五〇の律がありますが、最初からその数字であったわけでなく、必要に応じて付け足されていったのです。 もっと言えば「三学」自体が最初から用意されていたわけでなく、お釈迦さまが「さとり」に到達されて、その教えを広められた時に実践方法が具体的にまとめられていたわけではなくその布教過程において構築されていったものとなるのです。そして、それらが明文化されたのはお釈迦さま入滅の後の数百年経た時代のことであり、その時点で相当の変化を遂げていたものと推察されます。 特に「戒」と「律」に関してはお釈迦さまという直接的な指導者を失ってすぐに教団内で意見の相違が発生しており、その意見の相違を出発点としてお釈迦さま入滅後一〇〇年ほどあまりの時に「根本分裂」という仏教教団の思想性が大きく二つに別れることになったのです。 それが「方法論の多様化」につながっていったのです。 「根本分裂」によって二つの流れができました。一つを上座部(じょうざぶ)、もう一つを大衆(だいしゅう)部(ぶ)と言い、それぞれがまた分裂をし「部派」となり、この時代を部派仏教の時代と言います。上座部は簡単に言うと「守旧派」、大衆部は「革新派」となります。いずれも出家者の中での思想的相違によるものでしたが、その後在家信者や非出家者の仏教者を中心として仏教の革新運動、またはアップデートや再構築とでも言うべき事が起こります。これを「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」と言います(大乗仏教のルーツとしてはお釈迦さま在世の頃とする説が有力である) 「大乗仏教」の出現によって、「戒と律」をはじめとする仏教の実践方法が大きく変化することになったのです。それらは言うまでもなく 「時代・地域・状況」の変化による影響もあってのことであります。
by hechimayakushi
| 2015-09-04 21:00
| 私説法然伝
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