へちま薬師日誌

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2017年 07月 13日

8月のお知らせ

8月の12日は薬師縁日をお休みさせていただきます。
またお盆期間中の12日より17日までご祈祷をお休みさせていただきます。


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by hechimayakushi | 2017-07-13 00:23 | 寺務日誌 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 13日

私説法然伝30

『私説法然伝』(30)極楽への道⑤

 先月号では「阿弥陀佛と本願」について書きました。今月はその続きになります。

【日本に佛教が公(おおやけ)に伝わったのは欽明天皇(きんめいてんのう)の時代、壬申(じんしん)の年・五五二年とされている。それ以前の戊午(つちのえうま)の年・五三八年説もある。また渡来人によって私的に伝来していたという説もある。いずれにせよ欽明天皇の時代六世紀なかば頃にもたらされたものと考えられている。その中にもちろん阿弥陀佛と、その信仰の中心となる浄土三部経(じょうどさんぶきょう)をはじめとする各種の経典類がもたらされたと考えられている。来世への往生という考え方は早くから注目されており、阿弥陀佛信仰・西方極楽浄土への往生思想(二つを合わせて「浄土仏教」とする)は日本において広まりを見せていた。本格的な研究のはじまりは奈良時代からであり、南都の各宗派で多数の学僧が経論を学んだ。日本における浄土仏教の確立という観点で言えば平安時代のはじまり、桓武天皇の時代からと言える。それは最澄と空海という日本佛教改革者の登場によってもたらされる。二人は中国で学び、帰国して日本の佛教の新たな道を切り開いた。その二つの流れが天台宗と真言宗であり、それぞれに浄土仏教の思想が取り込まれている。その中で最も重要となるのが天台宗における浄土仏教の思想と言える。最澄は修行法の中の一つに常行三昧(じょうぎょうざんまい)と呼ばれる修行法を設定した。それは常に行道をしながら口に南無阿弥陀佛と称え、心に阿弥陀佛を思い浮かべる、というものであった。これが日本天台宗・比叡山延暦寺における「念佛」のはじまりとなり、それを発展させたのが最澄の弟子の円仁(えんにん)である。円仁は最澄と同じく唐に渡り、様々な困難や出会いにより五台山(ごだいさん)へと登る。そこで出会ったのが唐の僧侶・法照(ほっしょう)により初められた五会念佛(ごえねんぶつ)であった。五会念佛とは、五種類の音声からなる音楽的な称名の念佛である。日本へと戻った円仁は比叡山に常行三昧堂を建立し、五会念佛三昧法として、念佛三昧行・不断念佛(ふだんねんぶつ)を行うようになった。これが後に「山の念佛」と呼ばれる比叡山における浄土仏教の確立と言えるものである。】
 
 日本へと佛教が伝来した時点での佛教の広まりであったり、人々の信仰がどのような形であったのかは、はっきりとしないことも多々あります。しかし、早い時期から往生思想、兜率天と呼ばれる弥勒菩薩の浄土への往生思想などが信仰されていたことからもわかりますように、日本の人々にも「往生」というものが受け入れられていたことが理解できます。また、奈良時代には南都の佛教、平安時代には最澄と空海によって切り開かれた佛教、特に最澄の開いた比叡山延暦寺における「念佛」が日本における念佛の形を決定づけることになったのです。最澄の弟子の円仁は、実に数奇な人生を送られた方です。『入唐求法巡礼行記(にゅうとうぐほうじゅんれいこうき)』という世界三大旅行記の著者として世界的にも有名な僧侶なのであります。

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by hechimayakushi | 2017-07-13 00:21 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)