へちま薬師日誌

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2012年 02月 02日

2月のことば

「覆われた人々には闇がある。(正しく)見ない人々には暗黒がある。善良なる人々には顕見される。あたかも見る人々に光明のあるようなものである。理法が何であるかを知らない獣(のような愚人)は、(安らぎ)近くにあっても、それを知らない」ブッダのことば・スッタニパータより

ブッダの教え、つまり悟りとは、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三法印、これに一切皆苦を加えた四法印である。
覆われた人々・見ない人々とはブッダの教え=悟りを理解せず、悟ることのできない人々の意。
つまり、現在に生きる全ての衆生、「凡夫」である。
「凡夫」はブッダの教え=悟りを理解することはできない。
できない故に「凡夫」である。
「凡夫」がいかにしてブッダの教え=悟りに到達できるのか?
観無量寿経においてブッダは韋提希夫人=凡夫に、阿弥陀如来のおわします西方極楽浄土の姿を見せる。
極楽浄土に往き生まれること(往生)を願った韋提希夫人は、ブッダにどうすれば極楽浄土へ往生できるのか問うた。
ブッダは凡夫である韋提希夫人は、修善・修行・持戒により極楽往生は不可能であり、仏=阿弥陀如来の力によってのみ、極楽往生ができるのだと説いた。
最初はブッダの教え=阿弥陀如来の力による極楽往生を理解することができなかった韋提希夫人であるが、ブッダの教えを聞くうちに、自分は修善・修行・持戒の出来ない凡夫であることを思い知り、自分の力によって極楽往生することは不可能であると思い知った。
ブッダは韋提希夫人、そして未来に生まれてくる全ての衆生=凡夫は、ただ阿弥陀如来の力=本願成就による衆生救済により必ず極楽へ往生できるのだと説かれた。
極楽浄土へ往生するということは、阿弥陀如来の世界=法の世界へ往生することである。
つまり悟り、完全なる涅槃の世界で、我々のいる三界(欲界・色界・無色界)を完全に離れることである。
肉体がなくなり、三法印・四法印を完全に理解し、無我の境地に至った世界である。
つまり極楽往生とは無我の境地に至ることである。

2月15日はブッダの入滅の日です。
東充寺でも涅槃会を修します。
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by hechimayakushi | 2012-02-02 21:16 | ことば | Trackback | Comments(0)
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