へちま薬師日誌

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2014年 06月 09日

6月のことばその2

「時下れりとても疑うべからず。法滅以後の衆生なおもて往生すべし況や近来をや」法然上人語法語『一紙小消息』より

前回は「阿弥陀佛の確約=極楽往生」についての考察を書きました。
昨年よりことばを通しての色々な自分の考察を書いてきました。
考えというのはその時その場で変化しますので、あらためて読み返すと思考が行ったり来たりしているのがよくわかります。
最近思うのが仏教というものはやはり一人の頭で考えて捉えきれるものでもなく、文字として見ているだけでは見逃してしまう、その時は何も気がつかないが後で気がつく、などです。
そして、聞き見て、考えていく、理論的な事を自分の中で消化していく、聞思修が大事なのです。
自分自身の考え、思考は正しい間違っている、それは自分ではわかりません。
正解というのはあくまで佛(今まで仏の字を使用していましたが今回より佛で統一します)の側にある、という立場です。
私自身はその正解はこうではないか?と問い続ける存在です。
言語的にある仏教・教理を元に考えていく、照らし合わせていくことになります。
回心とは、その照らし合わせの結果に起こる発見だと思います。
法然上人の発見は本願念佛でした。
自分の力ではなく佛の力による極楽往生が本願念仏になります。
それは言葉としては極めて簡単ですが、法然上人にとってはまさしく大逆転・革命的な発見になりました。
仏教の概念が全て変わった、価値観の大逆転だったからです。
お釈迦様在世の時代から部派仏教の流れでは教え(法)を元に解脱を目指すことが主眼となりました。
大乗仏教が出現すると、佛そのものを目指すことになりました。
いずれにせよ、教えを元に自分の力によって解脱や佛を目指すというものでした。
それが本願念仏によって180度大逆転したと言えます。
お釈迦様自身は自らが広めた教えそのものは残っても、その実践的な部分、自分自身の肉体的な死により解脱の証明が出来なくなる、そうなれば必然的にいずれ自力での解脱も佛を目指すことも不可能になると考えられていたと思われます(正像末思想)
本願念佛の教えは自力ではなく、他力の教えです。
それはお釈迦様が未来の衆生、つまり自力では佛になれない、解脱もできない、全ての存在のために残された教えとなります。
法然上人の時代はちょうど末法(教えのみが残る時代)に入ったと考えられていたので、法然上人は本願念佛の教えは時期相応の教え(時代に合った教え)と仰られています。

仏教というものは高さも広さもわからない山のようなものです。
それに登れと言われても高さも何もわからないわけですから、どう登ればいいのかわからない。
登れるかどうかわからないで登れと言われてもつらいだけです。
それが頂上はここにある、登り方はこうである、とわかっていたらどうでしょうか?
しかも登り方は自分で登るのではなく、誰でも使えるロープウェイで登れる。
本願念佛というものは、誰でも使えるロープウェイで山に登るようなものと言えます。
自分から何か用意したりもいりません、頂上にいる阿弥陀佛がそのロープウェイに人を「勝手に」のせて頂上まで「勝手に」運んでくれるのです。
法然上人はひたすら自分自身の能力や行為での覚り・極楽往生を目指してきましたが、それが逆転し他力による極楽往生の本願念佛に目覚められました。
そうなると当然価値観の大逆転が起こります。
それが安心・起行、という言葉であらわされる心の動きと行動となります。

法然上人は回心の後、最終的に比叡山を下りられます。
天台宗の総本山で日本有数の仏教の修行道場とも言うべき比叡山を下り、一度広谷・粟生の地(現在の総本山光明寺)に住んでいた遊蓮房円照の元へ行きます。
何を話され何をなされたのかは不確実ですが、本願念佛について自身の思いや考えを述べられたことは間違いないと思います。
そして、その考えが間違いではないという確信も抱かれたと思われますが、結果的に二年ほどへ東山吉水の地へ移られ本願念佛の教えを広められます(現在の円山公園奥・安養寺付近)
なぜ吉水に移られたのか?
その当時の東山吉水は今からは想像もできない荒涼とした土地であったらしく、また鴨川の側ということもあり、当時の鴨川はこれも今からでは想像もつかない状況であったようです。
当時は埋葬できない死体は鴨川へ「捨てられる」のが普通でした。
川沿いには京の都の市中には住めない人々が集まっていたようです。
しかし、広谷粟生の地がありながらなぜそこへ移ったのか?
山深く、静かで、自身の母方の秦氏の縁ある地であった広谷の地ではなぜいけなかったのか?
そこに法然上人の思考そのものがあるのではないでしょうか?
結果的に広谷の地ではいけなかったのでしょう。
ただ1人、念佛申す、それではいけなかったのでしょう。
人のいる地、それも仏教と縁遠い人々の住まう地でなけれなならなかったのでしょう。
本願念佛は従来の常識的に考えられていた仏教とは真逆の思考性です。
仏教の実践の考え方としては、やはり出家主義、世俗との交わりを断つ、というものがあります。
しかし本願念佛であれば、その必要性がなくなります。
比叡山にしろ高野山にしろ、人里離れた山にあるのは、やはり世俗との交わりを断ち戒と律を守りやすくする、修行などを行いやすくする、そういったためです。
しかし、本願念佛では修行も何もかも阿弥陀佛が法蔵菩薩の時に全てやっていてくださっているという考え方ですので、衆生の側には厳しい修行も戒律の厳格な遵守もいりません。
ましてや死の穢れ、などという考え方とも無縁となります。
法然上人が吉水の地を選ばれたのには、本願念佛のエッセンスが詰まっているのだと私は思います。
吉水の地で、仏教と無縁の人々と交わり、死の穢れも無縁であると証明し、本願念佛の教えを広められたのです。
ここで大事なことは、今現在の常識や価値観で考えてはいけない、ということです。
法然上人がなされたことは当時の仏教の常識であったり、当時の常識的な風俗を打ち破ることであったのです。

今の感覚ではわからないと言えば、死の穢れを忌避するのが一般的であった時代に、本願念佛という死穢を忌避しない考えを持つというのは革新的なことでありました。
当時他には律宗が戒律を順守することで死穢を免れることが出来ると主張していましたが、あくまで死には穢れがあるという常識を打ち破るものではなく、本願念佛の思想では死に穢れは全くないというものですので性質が異なります(死穢を忌避しないという点では法然上人以前の念仏聖にもあったとも言われる)

つづく

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by hechimayakushi | 2014-06-09 01:14 | ことば | Trackback | Comments(0)
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