へちま薬師日誌

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2015年 04月 20日

私説法然伝3

『私説法然伝』(3)誕生②
 先月号では法然上人の家系と生まれるまでについて書きました。
 ここで法然上人の生まれた時代等について簡単に書き記したいと思います。
【長承(ちょうしょう)二年(一一三三年)は平安時代末、いわゆる院政(いんせい)期であり、鳥羽上皇の時代である。長きにわたって「治(ち)天(てん)の君(きみ)」として君臨していた白河法皇の時代が終わり、鳥羽上皇による院政(天皇が譲位し太上(だいじょう)天皇となり直接政治を執り行う政治形態)が開始された。
 平安時代とは延暦(えんりゃく)十三年(七九四年)に桓武帝により平安京が開かれてからの時代のことを言う。一般的には源頼朝が征夷大将軍になる建久(けんきゅう)三年(一一九二年)までの約四百年間とされるが、「文治(ぶんじ)の勅許」(文治元年・一一八五年)により源頼朝に諸国への守護(しゅご)地頭(じとう)職(しょく)の配置許可の勅令をもって関東における鎌倉幕府政権の成立と見なすことが多い(ただし政権成立時期に関しては諸説あり)
 院政期とは平安時代の末期にあたり、応徳(おうとく)三年(一〇八六年)白河天皇が堀河天皇に譲位し院政を開始したことが始まりとされている。藤原摂関(せっかん)家による政治支配に陰りが見えていた時代である。摂関家の権勢の原動力となっていた荘園(公領(こうりょう)と言う国家直轄地以外の土地で、時代により形態は変化しているが基本的に墾田(こんでん)永年(えいねん)私財法(しざいほう)により開発された民間私有地の農地である。不輸の権・不入の権と言われる租税免除・調査等の拒否権を持つ荘園もあった)も延久(えんきゅう)の荘園整理令による記録(きろく)荘園(しょうえん)券契(けんけい)所(じょ)の設置等の政策の効果で全盛期の藤原道長時代に比べると所有する荘園の数も激減していた。
 院政期は武士の発展の時代でもある。武士は荘園の発展と共にその力を増していった。荘園にはもともとの開発領主が存在しており、その開発領主が武装したのが武士の始まりの一種である。また、貴族が武装し武術・戦闘の専門家として軍事貴族となり荘園等の開発領主と結びつき武士団を形成していったのも始まりの一種である。国衙(こくが)軍制(ぐんぜい)というシステムにおける軍事・治安維持のための兵力から武士が発生した説もある。田堵(たと)・負(ふ)名(みょう)という在郷の富豪層であり徴税を請け負っていた有力者層が軍事力として動員され地方政治体制に組み込まれた結果、武士となったとも言われている。
 法然上人の父の漆間(うるま)時国(ときくに)は押領使(おうりょうし)である。押領使は国衙軍制というシステムの中の役職の一つと言える。国衙(こくが)(律令制において国司(こくし)が地方政治を遂行した役所並びにその場所)より任命・運用される武装集団であり、院政期には武士団を形成して各地方の在郷の支配・管理者層となっていっていた。】


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by hechimayakushi | 2015-04-20 21:33 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)
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