へちま薬師日誌

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2015年 11月 06日

私説法然伝10

『私説法然伝』(10) 出家への道⑤
  先月号では佛教の伝播(でんぱん)まで書きました。今月号ではその伝播について書きたいと思います。
 佛教の伝播はスリランカ・ビルマ・タイに伝わった「南伝佛教」、シルクロード経由で中国に伝わった「北伝佛教」、チベットへ伝わった「チベット佛教」の三通りが主な伝播ルートとなります。
 私たちにとって最もなじみ深い佛教というのはこの中の「北伝佛教」となります。 紀元後一世紀ごろ後漢の時代と言われています。インドよりシルクロードを通って様々な経典が中国へと伝わりました。もちろん多数の僧侶もインド・シルクロード周辺国から中国へと招来されました。そして中国での佛教の発展が起こります。その最も特徴的な事は「教相判釈(きょうそうじゃく)」というものです。
 「教相判釈」とは、釈尊がその教え・佛教を広められた四十五年間のうちにどの順序で教えを説かれたのか?どの教えが最も優れているのか?釈尊の真意とは何か?という問題をめぐって様々な解釈を行ったことです。
 インドで興った佛教は、数世紀をかけて多数の変化をとげます。その変化した新しい部分と古い部分の佛教が短い期間で中国に入ってくることになり、中国側で翻訳し整理し再構築していく必要があったのです。
 そして「教相判釈」を行い新たに「学派・宗派」が生まれたのです。
 その中の一つには「浄土宗」もありましたが、ここで重要となるのが「天台宗」です。
 「天台宗」とは、随の時代の天台(てんだい)大師(たいし)智顗(ちぎ)を実質的開祖とする宗派で、『法華経』を最高位に置く「教相判釈」(五時八教)を説き、止観行(二種の佛教的瞑想方法)により悟りを目指した宗派です。
 佛教はやがて日本へと伝わり、その体制は国家による国家の為の佛教でしたが、やがて自己救済と他者救済を心の底より求める一人の僧侶が現れます。その名を「伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)」と言い、日本の比叡山において天台宗を開き日本の佛教の方向性と多様性を切り開いたと言える僧侶です。
 生まれは近江国、今の滋賀県で若くして奈良の東大寺にて出家・得度をし、比叡山に籠もり山岳修行を行い、やがて中国へと渡り、天台宗の教えに出会い、そしてその教えを日本へと持ち帰ることになります。
 そこに日本の佛教のターニングポイントがあったのです。    

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by hechimayakushi | 2015-11-06 23:37 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)
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