へちま薬師日誌

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2016年 02月 07日

私説法然伝13

『私説法然伝』(13)比叡山延暦寺にて①

  先月号では勢至丸(せいしまる)こと法然上人がいよいよ比叡山延暦寺へ登る=出家されるために京の都へと入られました。その時の様子が『法然上人行状絵図』に記されています。
【京の都に入った勢至丸は、叔父の観覚(かんがく)より預かった書状を従者を通して比叡山延暦寺の西塔北谷(さいとうきただに)の持宝房源光(じほうぼうげんこう)の元へと届ける。その書状には大聖文殊菩薩像(だいしょうもんじゅぼさつぞう)を一体進上するとあった。源光に大聖文殊菩薩像について問われた使者はただ勢至丸のみが都に来ていると告げると源光は大聖文殊菩薩像とは勢至丸のことだと察知したという。すぐに迎えをやり勢至丸を比叡山延暦寺へと登らせたという。それは二月十五日のことであった。そして試しに『四教義(しきょうぎ)』(天台宗の教義大綱書・入門書)を読ませてみると勢至丸は疑問に思った箇所を源光に質問した。その箇所は昔から天台宗にて議論されている箇所であった。勢至丸の非凡な才能を認めた源光は二ヶ月後に功徳院の皇円阿闍梨(こうえんあじゃり)の元へ勢至丸を送った。勢至丸の非凡な才覚は源光の手に余ると考えたとある。皇円阿闍梨は関白藤原道兼(ふじわらみちかね)の玄孫にあたり、豊前守藤原重兼(ふじはらしげかね)の子として肥後の国玉名荘(現在の熊本県玉名市)に生まれ、幼くして比叡山延暦寺に登り皇覚の下で出家得度し椙生流(すぎうりゅう・天台宗の顕教を学ぶ学派)を学び、比叡山延暦寺の功徳院に住し、その学識から人々の尊敬を集めていた学僧である。
 勢至丸は皇円の下で天台宗の教学について学ぶこととなったのである。勢至丸が皇円の下へ来る時に、満月が自室へ入る夢を見た、聡明な勢至丸と出会う前兆であったのだろう、と語ったという。】
 ここで以前にも登場した持宝房源光と、皇円阿闍梨という二人の師が登場します。 持宝房源光については以前にも書いた通りあまり詳しくは資料も残ってはいませんが、叔父観覚の比叡山延暦寺での同窓の友とも伝えれています。皇円阿闍梨は当時から高名な学僧で、関白藤原道兼の玄孫という血筋です。兄は肥後守藤原資隆で、そこから通称肥後の阿闍梨と呼ばれていました。『扶桑略記(ふそうりゃっき)』の著者として有名で、勢至丸が皇円の下へ来た時は皇円晩年のことでした。
 『法然上人行状絵図』によりますと源光は勢至丸の非凡さ故に、皇円の下へと勢至丸を送るのですが、その間わずか二ヶ月となり、それほど優秀な弟子ならば自分の下で学ばせたいと思うのが通常だとは思われますが、勢至丸が皇円の下で天台宗について学んだことは間違いないと思われます。 そしていよいよ勢至丸の出家得度の日がやってくるのです。 
 


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by hechimayakushi | 2016-02-07 21:09 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)
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