へちま薬師日誌

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2016年 08月 09日

私説法然伝19

『私説法然伝』(19)法然誕生③
    
 先月号では法然上人が比叡山を下りて嵯峨(さが)の清涼寺(せいりょうじ)へ向かわれる決意をされたところまで書きました。
 この嵯峨の清涼寺とは源氏物語にて主人公の光源氏が建立した「御堂(みどう)」であるとも言われている寺院です。別名を嵯峨釈迦堂とも言い、釈尊在世のお姿を刻まれたと伝えられる三国伝来の釈迦像が古来より人々の信仰を集めていたのです。

【嵯峨の清涼寺には身分の上下も老若男女も関係なくひたすら「佛(ほとけ)」を求める人々にあふれていたという。法然上人はそこで七日間を過ごす。自らがもとめる「さとり」への到達を祈願するためであったと伝記には記されている。法然上人がそこで何を見て、何を聞いたのであろうか?おそらくは比叡山では考えもしなかった光景ではなかろうか?比叡山延暦寺は女人禁制であった。形骸化しつつあったとはいえ、佛の教えを求める僧侶によって開かれた僧侶による僧侶のための聖域であった。嵯峨の清涼寺もまた「佛」を求める人々であふれていた。高貴な身分とされる人々も、女性も、老人も若者も区別なく、そこで「佛」を求めていたのである。その光景が法然上人に影響を与えなかったとは考えられにくい。確実に何かしらの影響・ショックを与えたに違いないのである。七日間の参籠の後、法然上人は再び「求法(ぐほう)」の旅に出ることになった】

 法然上人は「求法」の成就の祈願のために嵯峨の清涼寺へ七日間参籠したのですが、個人的な見方ですが、法然上人は黒谷の経蔵に籠もり続けていることへの限界を感じられていたのではないでしょうか。つまりは従来の「求法」、方法論に対して限界点を見出されていたのではないでしょうか。
 そして嵯峨の清涼寺での七日間は法然上人にとって極めて印象深い、また「視点」を変えるきっかけとなったとも考えられます。僧侶となり決められた方法論にて「さとり」を求めるというあり方からの脱却というものがこの嵯峨の清涼寺への参籠をきっかけとして起こってくる、そう私は捉えています。法然房源空という個人の問題から「人々」という視点への切り替えが発生したのではないでしょうか?
 嵯峨の清涼寺へ集まる人々の姿が、誰しもが「佛=さとり」を求めている、そう法然上人の目には写ったのではないでしょうか? 

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by hechimayakushi | 2016-08-09 22:59 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)
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