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へちま薬師日誌

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2019年 04月 13日

私説法然伝50

『私説法然伝』(50)回心回天⑤

 先月号では法然上人が比叡山延暦寺を下りられる事について書きました。今月号はその続きについて書きます。

【比叡山を下りられた法然上人が向かわれたのが、西山(にしやま)粟生(あお)の地であった事は間違いないであろう。西山粟生とは西山(せいざん)浄土宗総本山光明寺のある地である。現在では長岡京市と呼ばれる地で、かつて桓武帝により都が置かれた地が長岡京であり、その地の西の峰に粟生の地がある。その地に住む高橋茂右衛門はかつて南都へ向かう法然上人に一夜の宿を提供した人物である。法然上人はその時に交わした約束を忘れていなかった。長い月日が経っていたが、高橋茂右衛門と再会した法然上人は本願念佛の教えを伝えられたのだろう。法然上人が初めて本願念佛の教えを人に伝えた瞬間であった。以来西山粟生の地は日本における本願念佛の根元の地となり、後に正親町天皇より綸旨(りんじ)を賜り建立された「浄土門根元地」の石碑が現在の総本山光明寺に今も残っている。法然上人は高橋茂右衛門と再会した後も西山粟生の地のすぐ近くで数年間を過ごされた。
 法然上人は後に浄土の法門と遊蓮房円照(ゆうれんぼうえんしょう)に出会えた事が人生で最も思い出深い出来事だと述べられている。その遊蓮房円照が住んでいた庵が西山粟生の地からさらに山の中へ入った広谷の地にあったという。遊蓮房円照は念佛の聖であった。もとは藤原是憲(ふじわらのこれのり)と言い、あの信西入道の息子である。平治の乱の後に佐渡ヶ島または安房国に流されたが、その際に出家し遊蓮房円照を名乗った。平治元年(一一五九年)二十一歳の出来事であった。時は流れ承安五年(一一七五年)法然上人と出会うことになったのだが、なぜ法然上人は遊蓮房円照を訪ねたのたのだろうか。遊蓮房円照の妻(藤原顕時の娘)の甥が法然上人の兄弟弟子の信空であった事から、法然上人は遊蓮房円照という念佛の実践者の存在を聞いていたのかもしれない。遊蓮房円照はひたすら称名の念佛に励み「三昧発得」をしたと伝えられる。法然上人は「回心」という確信を得られていたが、それは法然上人一人の内的な体験または仏教的な境地や確信であった。自分の到った確信を誰かに会い確かめる必要があったのだろうか。法然上人は遊蓮房円照と数年間過ごす。遊蓮房円照は法然上人と出会って数年で病を得て浄土へ往生することとなった。その時法然上人が臨終の善知識として遊蓮房円照の往生を見届けた。法然上人が生涯忘れる事が出来ない出会いであった。】


by hechimayakushi | 2019-04-13 00:11 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)


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