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へちま薬師日誌

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2022年 09月 14日

私説法然伝89

『私説法然伝』(89)助けてほしい④

 先月号では法然上人の弟子になる武者・熊谷次郎直実について書きました。今月号はその続きについて書きます。

【一の谷の戦い、源平合戦最大級の合戦であるが、その全体像は実はあまり知られていない。義経の逆落としの印象が強すぎるせいだろう。この戦いの全体像は、西日本で数万騎まで盛り返した平家軍と鎌倉方の本体源範頼軍五万六千騎と源義経軍一万騎が平家の本拠地である福原の地でぶつかり合った戦いである。一の谷の戦いとは、福原の地の一部の地名であり、実際にはもっと広範囲で合戦が行われた。、だが源義経という日本戦史に残る「偉業」を達成した男の影響度の大きさによって一の谷の戦い、一の谷の合戦と後年呼ばれる事になるわけである。そして何より恐ろしいのが、義経は七十騎あまりの精鋭の中の精鋭で平家方の大軍勢を急襲した事である。これもまた諸説あり、いわゆる「鵯越」伝説などもあるが、とにもかくにも「逆落とし」という軍馬にまたがり急な斜面、おおよそ馬が降りられるようなところではない山からの敵部隊への奇襲作戦を実際に行ったのは、ほぼ間違いないのである。そして熊谷次郎直実という男はその中にいて、さらにその中の先駆けとして平家軍へ突撃したのである。そしてその結果、平家軍は混乱しながらも一騎駆けの直実は敵に囲まれてしまい、一歩間違えれば確実に討ち取られていたという。直実とは、まさに坂東武者そのものであり、戦ばかりの人生を歩んできた歴戦の強者であり、戦闘のプロフェッショナルである。
 合戦は平家方が海へと逃れる形で終わる。平家は強力な水軍を持って、瀬戸内海から九州までを支配していた。逃げるのも当然海である。直実は敵、つまり「首級」を求めて馬を海まで進めた。そこで遭遇したのが平敦盛、若干十七歳ほどの若武者である。若武者というよりは、まさに平家の公達という風貌であり、美しかった。そして平家の公達として、実に堂々としていた。その敦盛を馬から引きずり降ろし、組み敷いて首を切り落とさんとするその瞬間に直実は敦盛の風貌にハッと息を飲み固まった。自分の息子と同じぐらい年齢の若者を殺す事をためらってしまったのである。思わず助けたいと思ってしまった。我が息子が戦の中で小傷を負っただけで心配になるのに、この若者を討ち取ったら、この若者の親はどれだけ悲しむのであろうか、そんな心の葛藤が直実の中で巻き起こってしまった。あの直実、義経軍という最前線の中でさらに先駆けをする程の男がそう思ってしまったのである。だが逃してもいずれ背後から迫る味方の軍勢に追いつかれるのは間違い無い。敦盛に泣きながら必ず供養もすると伝えて討ち取った。
 直実はよほどこれが堪えたのだろう。歴戦の強者が戦場でさめざめと泣いたと言う。敦盛の腰の一つの小笛があるのを直実は見つけた。昨夜直実が聞いた笛の音色はこの若者の奏でるものであった。この笛の名を「小枝(さえだ)」と言う。】


by hechimayakushi | 2022-09-14 18:54 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)


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