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へちま薬師日誌

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2023年 07月 18日

私説法然伝100

『私説法然伝』(百)選択本願念佛集②

 先月号では法然上人が選択本願念仏集をどのように書かれたのか、というところまで書きました。今月号はその続きについて書きます。

【『選択集』の目的はあくまで九条兼実卿に献本するためであった。そして献本し解説する役目を担ったのが善慧房證空上人その人であったという。そのために證空上人が勘文の役を担い、さらに献本のうち下巻の清書も任されたのであろう。
 しかし不思議なのは、證空上人は九条兼実卿の最大の政敵であった久我通親卿の猶子であった。そこに法然上人の何かしらの深謀遠慮があったのかもしれないが、今となってはその深意は計り知れないのである。
 確実にわかっている事は、明確に法然上人は善慧房證空上人という人に法然上人の体得されたものを全てを伝えられたということである。『選択集』における證空上人の関わりが全てを物語っている。
 『選択集』を理解するには、中身を理解する方法と、逆にその批判というものから理解する方法がある。法然上人在世の頃の批判者としては三井寺の大弐僧正公胤によるものがあった。
 『観無量寿経』には「読誦大乗」の句があり、つまりは『法華経』などの大乗経典を読誦することで往生は可能であろうという論理によって法然上人の「念佛」を批判されたのだ。だが、後に公胤は法然上人の満中陰(四十九日)の導師を勤められた方である。公胤は自らの批判は間違いであったと己の著書を焼き捨てられた。公胤は法然上人の主張は「念佛を称えたら往生できる」と『選択集』を読んだからで、『選択集』であきらかにされたのは他力本願念佛つまり我々のちからによる往生ではないという点であり、その事を公胤は理解したために、自らの批判は間違いであったと理解できたのであろう。この事からも『選択集』とは法然上人の伝えられたかった事とは、他力本願念佛そのものであったことがわかるのである。
 法然上人より後の時代にはなるが、『選択集』の批判で最も有名なのが京都栂尾高山寺の明恵上人である。明恵上人は法然上人を尊敬されていたが、『選択集』を読み、同時に法然上人の門弟の行いなどから法然上人批判に転じたという。そして『摧邪輪』という自らの著作において痛烈に法然上人と『選択集』を批判するであった。
要点としては法然上人と『選択集』は「菩提心」つまり「さとり」を求め佛道を目指す志を否定しているものだと批判したのである。そして浄土門以外の諸宗派を法然上人は否定したと捉えて批判した。
 他力本願念佛というものはあくまで阿弥陀佛という佛の「菩提心」つまり全ての衆生を救いとることで佛となる「佛の菩提心」によって衆生は救われるのだという真実を法然上人は伝えられたのであり、それは人々の菩提心を否定するものでも、諸宗派を否定するものでもなかったのである。むしろ菩提心そのものが他力本願念佛なのである。】

以下次号に続く


by hechimayakushi | 2023-07-18 23:24 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)


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