へちま薬師日誌

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2018年 11月 16日

法然上人御忌法要・団体参拝のご案内

a0149268_22205299.jpg東充寺団体参拝のご案内です。
総本山光明寺・法然上人の御忌法要への団体参拝です。
来年度4月24日(水)の予定です。
皆様のご参加お待ちしております。


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# by hechimayakushi | 2018-11-16 22:23 | 寺務日誌 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 13日

私説法然伝46

『私説法然伝』(46)回心回天①

 先月号では日宋貿易の始まりと影響について書きました。今月号はその続きについて書きます。

【新しい時代へと突入したのだ、と。その時代に生きていた人々がはっきり認識して生きていたかどうかは定かではない。今現代でもそうである。ただし、どの時代でも変革の時代には人々の思考というものはその影響を受ける事が多いのは事実であると言える。平安時代とは後の時代の人間が命名した時代の名前である。その当時の人々がそう認識していたわけではない。平安時代から鎌倉時代へと移り変わったというのも、後の時代の人間がそう認識しているだけである。当時の人々がそう感じたかどうかは定かではない。しかし確実に「世の流れ」が変化した事は当時の人々でも感じ取らざる負えなかったのではないだろうか?かつて栄華を誇った藤原摂関家の権勢も衰え、「治天の君」として絶大な権力を振るった「王家」も今や平家一門の力を頼らなければ政治体制を維持することが困難となっている。世の流れは留まることを知らずして、いつ何時変わるかもしれないものだと、人々は実感していたに違いない。それは法然上人が身を置いている比叡山延暦寺でもそうである。伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)開山以来、時代の中で、数多の僧侶が流れを変化させてきた。その中に恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)の確立した浄土佛教がある。浄土佛教という流れに出会った法然上人はこれから一つの大きな流れを生み出されることになる。承安二年(一一七二年)平清盛の築いた時代が全盛を迎えつつある頃、法然上人は四十歳となっていた。「念佛」という道を模索され続けていた、と推察される。『往生要集(おうじょうようしゅう)』によって示された善導大師(ぜんどうたいし)の『観経疏(かんぎょうしょ)』と向き合う日々であったのであろう。念佛に出会われてから早数年、ひたすら思索と実践を繰り返されていたと思われる。「念佛」こそが法然上人が求められていた道であるには違いない。しかし「確信」であったり、「納得」であったり、法然上人の思索の中で何か合点がいかない点があったのは間違いない。それは「誰もが必ず救われる道」ではなかったからだろうか。ただ念佛、というのは法然上人ならば可能であっても、誰しもが可能な道ではない。南無阿弥陀佛と称えるだけの称名念佛でも、誰もができるわけではない。そこに法然上人がたどり着くべき場所の「ヒント」があった。】

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# by hechimayakushi | 2018-11-13 11:35 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 27日

私説法然伝45

『私説法然伝』(45)王家と平家の時代⑩

 先月号では平清盛が政権の全盛について書きました。今月号はその続きについて書きます。

【後白河帝は嘉応(かおう)二年(一一七〇年)清盛のいる福原へ行幸し、宋人と会っている。その時代の日宋間の貿易の拠点は福岡であった。清盛は福原・大輪田(おおわだ)の泊(とまり)を整備し、日宋貿易の新たな拠点とすることを目指していた。後白河帝も進歩的な思考であったらしく、清盛の路線には理解を示していたという。承安(じょうあん)二年(一一七二年)に宋の皇帝考宗(こうそう)の兄の趙伯圭(ちょうはくけい)から、後白河帝と清盛に供物が届いた。そこには「日本国王に賜ふ物色、太政大臣に送る物色」とあった。これが無礼であると物議を呼ぶことになる。金に押され宋は衰えたとは言え「中華」である事には変わりなかった。そのため皇帝より「日本国王」への贈物という事であったのだ。翌年には返礼の品が贈られ、公式ではないが公的な性格を持った日宋貿易が開始されたのである。これにより清盛の狙いである宋銭の大量輸入が本格化していく。当時の朝廷=国家は「絹」を基軸通貨として扱っていた。つまり絹を基軸に物価が決まり、その物価を元に財政が行われていた。しかし宋銭の流通により、絹の価値が低下する。これにより朝廷の財政力が低下することを恐れたのが後白河帝であった。しかし世界的な経済交流の大きな流れの中で、清盛によって始められた「グローバル化」の流れを止めることは不可能であった。これが「後白河帝=王家」と「清盛=平家」の時代の全盛期であると同時に対立の始まりであったのである。一見すると安定した政権が始まったようであったが、実態としては次の争いの始まりであり、それは日本が新しい時代へと突入したことでもあった。】

 院政期というのはある日突然終わり、武士の時代が来たというわけではないと以前に書きましたが、ここまで数十年の流れを追って見ていくと、それがどういう意味かがはっきりとしてくると思います。また新しい時代というものの重要な鍵となるものが意外なものであったりするのです。ただどの時代でも必ず「経済」というものが重要な鍵となることには変わりないと言えます。特に院政期では二つの経済、荘園等を中心とした「土地」の経済と「宋銭」という新しい経済が重要な鍵となっていったのです。

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# by hechimayakushi | 2018-10-27 00:09 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 26日

大般若転読修行

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平成30年11月8日 
午前11時より
大般若転読修行
お申込みはお電話・直接窓口までどうぞ。
















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# by hechimayakushi | 2018-10-26 22:31 | 寺務日誌 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 24日

平和公園・永代合祀墓

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平和公園・東充寺の墓地内にどなたでもご利用いただける永代合祀墓が完成しました。
一霊10万円でご利用いただけます。
宗旨など問わず、どなたでもご利用いただけます。
詳しくはお寺までご相談ください。


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# by hechimayakushi | 2018-09-24 22:00 | 寺務日誌 | Trackback | Comments(0)