へちま薬師日誌

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2018年 02月 21日

私説法然伝37

『私説法然伝』(37)王家と平家の時代②

 先月号では保元元年の後白河天皇の新政の開始と信西入道について書きました。今月はその同時代の動きについて書きます。

【保元の乱において、後白河天皇が勝利者となれたのも信西入道の力によるところは大きい。後白河天皇の乳母は信西入道の二番目の妻である。鳥羽法皇崩御の後はその葬儀を取り仕切り、保元の乱に至る藤原頼長卿らが荘園から兵を集めることを禁止した後白河天皇の綸旨(りんじ)(天皇の命により発行される命令書)等の一連の措置を取り仕切ったのも信西入道と言われている。保元の乱により反対派を一掃することに成功した後白河天皇・信西入道であるが、後の天台座主であり関白藤原忠通卿の息子である慈円は『愚管抄(ぐかんしょう)』において「日本国ノ乱逆(らんぎゃく)ト云ウコトハ起リテ後、武者ノ世ニナリニケルナリ」と書き記したように、この保元の乱を契機として武者、つまり軍事力によって政治的な決着をつける時代へと転換した。そしてこれが後の信西入道の命運を決めることに繋がる。
 信西入道は藤原頼長卿と同じく、実権を握ると政治的改革を始めた。先に記した保元元年令を打ち出し、次々と改革の政策を実行していく。具体的には荘園の整理である。記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいしょ)を新たに設置し、強権的に各地の荘園の整理が行われた。それにより荘園の支配体系が天皇=王家を頂点とした統治下にあるものとされた。荘園の整理と並んで各寺社の統制もなされた。神人(じにん)と呼ばれる神社に属する神事や社務の補助・雑務に当たった人々はこの時代では、神社の権威を背景に様々な利権を獲得しており、警護なども担った事から武装もしており、一大勢力となっていた。寺院においては悪僧・僧兵の勢力が神人と同じく拡大しており、強訴(ごうそ)を繰り返し、金融活動を繰り広げていた。寺社仏閣勢力の統制はかつて絶大な権勢を誇った白河法皇ですらなし得なかったことである。「天下三不如意(てんかさんふにょい)」と呼ばれる①鴨川の水②双六の賽(さい)③山法師だけは白河法皇の権勢を持ってしても何ともならなかったのであった。鴨川の水とは氾濫を繰り返していた鴨川の流れ、双六の賽とはサイコロの目のことであり、これらは自然現象や運の事である。山法師とは寺社仏閣の勢力のことである。後白河天皇と信西入道は保元元年の新政によって寺社仏閣の勢力の統制に乗り出したのである。下賀茂神社・上賀茂神社など八社の神人の定員を定め名簿の提出を義務化した。そして比叡山延暦寺や園城寺の悪僧等の活動を抑制した。これにより天皇の名において寺社仏閣の勢力は統制され神仏に準ずる存在と位置づけられた。さらに後白河・信西政権は翌年に三十五ヵ条の新制で官人・職能集団のあり方を定め、検非違使(けびいし)庁の再編と治安対策の強化を行った。そして内裏(だいり)の再建を行った。天皇=王家を頂点とした国家の再編と新たな構築を行ったのである。一見するとこれらの改革は順調のように思えたが、全てが後白河・信西の思い通にはならなかった。】

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by hechimayakushi | 2018-02-21 16:20 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)