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へちま薬師日誌

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2019年 01月 15日

私説法然伝48

『私説法然伝』(48)回心回天③

先月号では法然上人の出会われた『観経疏』の著者の善導大師について書きました。今月号はその続きについて書きます。

【法然上人は『観経疏(かんぎょうしょ)』の「散善義(さんぜんぎ)」という巻にある「一心専念弥陀名号(いっしんせんねんみだみょうごう) 行住坐臥(ぎょうじゅうざが)不問時節久近(ふもんじせつくごん) 念念不捨者(ねんねんふしゃしゃ) 是名正定之業(ぜみょうしょうじょうしごう) 順彼佛願故(じゅんぴぶつがんこ)」(一心にもっぱら阿弥陀佛の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問わず、念々に捨てざる者、是れ正定の業と名づく。彼の佛の願に順ずるが故に)の一節を読まれた時に「回心」(心を改める事)されたと伝記にある。法然上人は三度にわたって『観経疏』を読まれ、三度目にして回心されたのである。つまり、三度のうちの二度での読み方と、三度目の読み方に変化があったのである。『観経疏』は『観無量寿経』の注釈書で、四つの巻で成り立っている。第一巻となる「玄義分(げんぎぶん)」において『観無量寿経』という経典の意義・エッセンスが述べられている。「散善義」は第三巻目にあたる。その中の一節・一文に法然上人の人生、または日本の歴史を塗り替えるきっかけとなる内容があった。この一節は「順彼佛願故」以外だけを読むと「常に念佛する人は必ず往生する」という自分の力で往生するのだという意味合いになる。そこに「順彼佛願故」の一文が加わると、「彼の佛の願に順ずる」=「願いが成就して阿弥陀佛となった佛の力によって、念佛する人は必ず往生する」という意味にになる。
 自分自身の力やはたらきで往生する、という「分別」の中で法然上人は『観経疏』を読まれていた。三度目に読まれた時にこの一文に込められた大きな意味に気がつかれた。自分の力やはたらきではない、阿弥陀佛という佛の力・はたらきによって往生する、つまり「他力」という真理に気がつかれたのである。阿弥陀佛とは法蔵菩薩が全ての衆生を救うという願い=本願(第十八願)を成就して佛となった佛。そこに法然上人自身が救われたいという願いも入っている、そしてその願いは成就されている、そう確信されたのだろう。その確信を回心と言う。また言い換えれば「分別」を越えたのである。法然上人四十三歳の年、承安(じょうあん)五年(一一七五年)春の事だったという。】

 法然上人が「回心」された承安五年(一一七五年)は法然上人が浄土宗を開かれた「立教開宗の年」ともされています。法然上人は回心されてからどのような人生を歩まれていかれたのでしょうか?


# by hechimayakushi | 2019-01-15 00:12 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 03日

新年明けましておめでとうございます

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新年明けましておめでとうございます。
昨年に撮った富士山です。
皆様良い初夢をご覧いただけたでしょうか?
本年も皆様のご健康とご多幸をご祈念しております。

※東充寺のホームページが現在サーバーダウンにより閲覧不可となっております。

東充寺の1月の行事予定のお知らせです。
鏡餅の申し込みは4日までとなっております。
8日に初薬師縁日がございます。
ぜんざいのご接待がございますので、皆様のご参拝をお待ち申し上げています。
午前9時より午後3時までとなっております。
よろしくお願い申し上げます。



# by hechimayakushi | 2019-01-03 00:58 | 寺務日誌 | Trackback | Comments(0)
2018年 12月 13日

私説法然伝47

『私説法然伝』(47)回心回天②

 先月号では法然上人の目指すものについて書きました。今月号はその続きについて書きます。

【法然上人が思い悩まれていたのは当然のことであった。法然上人にとって、または法然上人以前の多くの人の認識では、佛教とは佛道であり、佛道とは修道であり、修道とは「できる」か「できない」かである。法然上人は「できない」と認識されていた。そして「できる」ためにはどうしたらよいのか?という思いで様々な方法や考え方を模索されていたわけである。その中で出会ったのが「念佛」であったが、これもまた「できる」か「できない」かという問題が発生してしまう。法然上人以前にインドに始まり中国、そして日本で多くの「念佛」に関する考えが生まれ、発展してきた。法然上人はそれらの考え方を学ばれ、実践されてきた中で出会ったいずれも「できる」か「できない」かという問題への直接的な解決策は明示されていなかった。そして法然上人は善導大師の書かれた『観経疏』に出会われた。
 この善導大師とはどのような僧侶であったのか?善導大師は隋の時代六一三年の生まれで、幼くして出家し、般舟三昧行(はんじゅざんまいぎょう)という精神統一による観想の念仏行をされていたと伝えれる。後に道綽禅師(どうしゃくぜんじ)に出会われ『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の講説を聞き、道綽禅師の下で本願念佛の御教えに目覚められたという。善導大師は「できる」「できない」という念佛から、本願念佛という他力(自分の力に依らない)の念佛に目覚められた方であった。その善導大師が書かれた著書の一つが『観経疏』である。法然上人は『観経疏』を読み、悩まれたのだろう。その悩みを作ったのは恐らく「分別(ふんべつ)」というところであったのではないだろうか?私達は常に「分別」をしている。「分別」とは私達が無意識でも意識的にも行うことである。天気が良くて青空が広がっている、それを観た私達は「良い天気で空が青い」と「分別」する。「分別」してから今の天気は良くて空が青いと私達は認識する。
しかし、その日の空は私達が「分別」する前に既に天気が良くて青かった、分別しなくても天気が良ければ空も青いのである。その「事実」は意識して思考しないと気が付かないのが人間というものである。
本願念佛というものの本質もまた同じ事だと言えるのである。】


# by hechimayakushi | 2018-12-13 00:07 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 16日

法然上人御忌法要・団体参拝のご案内

a0149268_22205299.jpg東充寺団体参拝のご案内です。
総本山光明寺・法然上人の御忌法要への団体参拝です。
来年度4月24日(水)の予定です。
皆様のご参加お待ちしております。



# by hechimayakushi | 2018-11-16 22:23 | 寺務日誌 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 13日

私説法然伝46

『私説法然伝』(46)回心回天①

 先月号では日宋貿易の始まりと影響について書きました。今月号はその続きについて書きます。

【新しい時代へと突入したのだ、と。その時代に生きていた人々がはっきり認識して生きていたかどうかは定かではない。今現代でもそうである。ただし、どの時代でも変革の時代には人々の思考というものはその影響を受ける事が多いのは事実であると言える。平安時代とは後の時代の人間が命名した時代の名前である。その当時の人々がそう認識していたわけではない。平安時代から鎌倉時代へと移り変わったというのも、後の時代の人間がそう認識しているだけである。当時の人々がそう感じたかどうかは定かではない。しかし確実に「世の流れ」が変化した事は当時の人々でも感じ取らざる負えなかったのではないだろうか?かつて栄華を誇った藤原摂関家の権勢も衰え、「治天の君」として絶大な権力を振るった「王家」も今や平家一門の力を頼らなければ政治体制を維持することが困難となっている。世の流れは留まることを知らずして、いつ何時変わるかもしれないものだと、人々は実感していたに違いない。それは法然上人が身を置いている比叡山延暦寺でもそうである。伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)開山以来、時代の中で、数多の僧侶が流れを変化させてきた。その中に恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)の確立した浄土佛教がある。浄土佛教という流れに出会った法然上人はこれから一つの大きな流れを生み出されることになる。承安二年(一一七二年)平清盛の築いた時代が全盛を迎えつつある頃、法然上人は四十歳となっていた。「念佛」という道を模索され続けていた、と推察される。『往生要集(おうじょうようしゅう)』によって示された善導大師(ぜんどうたいし)の『観経疏(かんぎょうしょ)』と向き合う日々であったのであろう。念佛に出会われてから早数年、ひたすら思索と実践を繰り返されていたと思われる。「念佛」こそが法然上人が求められていた道であるには違いない。しかし「確信」であったり、「納得」であったり、法然上人の思索の中で何か合点がいかない点があったのは間違いない。それは「誰もが必ず救われる道」ではなかったからだろうか。ただ念佛、というのは法然上人ならば可能であっても、誰しもが可能な道ではない。南無阿弥陀佛と称えるだけの称名念佛でも、誰もができるわけではない。そこに法然上人がたどり着くべき場所の「ヒント」があった。】


# by hechimayakushi | 2018-11-13 11:35 | 私説法然伝 | Trackback | Comments(0)