2023年 07月 18日
『私説法然伝』(九十八)助けてほしい⑬ 先月号では法然上人に帰依した津戸三郎為守について書きました。今月号はその続きについて書きます。 【もう一つ、ある歴史記録を「逆算」すれば実に明快に事実が浮かび上がってくるものがある。という信西入道の孫にして法相宗の一流の学僧でもあった人が起草したと伝わる法然上人を批判し念佛を批判し規制を訴える『興福寺奏状』(近年の研究では貞慶が関わったのは一部分であるという)の中に「洛辺近国のなれども、北陸東海等の諸国に至っては、専修の僧尼盛んに此旨を以てす」と本願念佛の教えが諸国万民に広がっている事を裏付ける内容がある。 大げさな部分もあるにせよ、法然上人が本願念佛の教えを広められた事の影響の大きさがわかるものである。伝記にも陰陽師や泥棒の天野四郎(耳四郎)などかなり特殊な経歴の持ち主も法然上人を信じたことが書かれている。 これらの人々が法然上人に帰依したのは、法然上人が六十歳から七十頃の事、おおよそ建久三年(一一九二年)から建仁二年(一二〇二年)あたりの事である。五十四歳(文治二年・一一八六年)で「大原問答」があり、それからおおよろ十六年程で日本中にその教えを広められ確実にその教えを根付かせられたのである。 また逆に、その結果を観れば従来の佛教教団からすればまさに「革命」でもあった。たった独りの名もなき僧が、世界を塗り替えたようなものであった。だからこそ後の弾圧につながるのであり、同時にそれだけ本願念佛というものが世界をひっくり返す概念であったことの証明でもある。 建久九年(一一九八年)法然上人六十六歳、人々に教えを広め続けられている中で、法然上人は病に倒れられる。正月から五十日間の念佛法要(別時念佛)を修された。二月に入り風邪をひき、それが悪化したとある。 法然上人はこの時二箇条の(戒めの意味)を遺言として作られた。一つは念佛を守るために弟子たちへの指示であり、もう一つは自分の持つお堂や佛像や(経典)の財産分与についてであった。 法然上人の突然の病を心配した九条兼実卿は、本願念佛の教えをより理解するために、そして自分への形見として何か本願念佛の教えの要となるものを作って欲しいと懇願された。 法然上人にとってまた一つの転機となる『』の編纂の始まりである。】
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by hechimayakushi
| 2023-07-18 22:59
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2023年 07月 18日
『私説法然伝』(97)助けてほしい⑫ 先月号では法然上人に帰依した甘糟太郎忠綱について書きました。今月号はその続きについて書きます。 【甘糟太郎忠綱以外にも関東の御家人の中に法然上人と本願念佛に帰依した者がいた。津戸三郎為守(つのとのさぶろうためもり)である。源頼朝の東大寺落慶法要参列に伴って上洛した津戸三郎為守は法然上人に出会い弟子となった。そして関東に本願念佛の教えを広めることになったのである。三代将軍実朝の悲劇的な暗殺以後に彼は出家する。そして念佛者として実朝の菩提を弔い、本願念佛の中で生きた。 当時の新興勢力または時代の新たな主役であった武家・武士に法然上人の本願念佛の教えは広がっていったのである。それは彼らが求める「助け」が本願念佛にあったからである。 もちろん本願念佛の教えは武家・武士だけではなく、ありとあらゆる階層の人々に広まっていくのである。当時一番「死」そのものに近かったのが戦闘集団である武士達であるが、現代では考えられないぐらい「死」そのものが身近であった時代である。誰もが「後生」という死後の不安を抱えて生きていた。そして生きている間の苦しみや不安というものにどうしたら良いのかという答えも求めていた。 当然のことだが、法然上人の弟子や信徒となる人々には、僧侶や貴族や武士以外の様々な階層の人々が多くいた。記録にないからいなかったのではない。記録に残るのは氏名などがはっきりと他の資料などでもわかるような人だから残っているのである。そのことは歴史文献を「逆」に読むことで判明する。例えば慈円僧正の残した第一級資料である『愚管抄(ぐかんしょう)』の法然上人の臨終の様子の記述からもそれがわかる。名前はわからないが様々な人々が法然上人を慕って最後の別れにつめかけたのである。それは法然上人とその話す言葉が多様な人々に受け入れられていたことの証明である。単純に有名だから高僧と評判だからというだけで人々が押しかけるわけではない。人間の心理や心情を含めて「逆算」しなければどんな歴史資料も読み解け無いのである。】 本願念佛とは、佛は一切の差別なく人を救うという働きです。法然上人はその本願念佛を広められたわけです。当然ながら一切の差別なく人々と接し話をされたことでもあります。それは「宗教革命」とも言えることでもありました。
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by hechimayakushi
| 2023-07-18 22:58
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2023年 02月 15日
『私説法然伝』(96)助けてほしい⑪ 先月号では法然上人の弟子になる武者・熊谷次郎直実について書きました。今月号はその続きについて書きます。 【熊谷次郎直実のように武家から僧侶となった法然上人の弟子もいれば、また違う人生を歩んだ者もいた。甘糟太郎忠綱(あまかすたろうただつな)は関東の御家人であり、武蔵七党と呼ばれた現在の武蔵国(現在の埼玉県)の有力武士団の一つの猪俣党の武士であった。 建久三年(一一九二年)十一月十五日比叡山の堂衆・山法師らが日吉(ひよし)山王(さんのう)社(しゃ)に立てこもって狼藉を働いており、その鎮圧のために坂東の御家人たちが派遣されることになった。その軍勢の中に甘糟太郎忠綱がいたのである。 甘糟太郎忠綱は鎮圧に向かう途中に法然上人の元を訪れたのである。甘糟太郎忠綱は法然上人に非常に単純明快だが本質的な問いかけ、というよりも己の疑問の全てをぶつけたのである。 甘糟太郎忠綱は武家に生まれ武士となった。なので今回のように命じられれば出陣して戦わなければならない。だがそのような人生を歩んで自分は本当に救われるのか?このままの生き方でも自分は良いのか?と法然上人に思いの全てをぶつけた。 法然上人はただ佛とは我らの行いの善悪であるとか修行するとかしないとか優劣であるとか、そんなことは一切関係なく、ただひたすら我らの計り知れない力、つまり「他力」によって我らを救うのだと。だから甘糟太郎忠綱は甘糟太郎忠綱としてその人生を思う存分に生きれば、必ず往生するのだと、そう話された。 甘糟太郎忠綱はこの時どのような答えを期待していたのだろうか?ひょっとしたら熊谷次郎直実のように、武士であることをやめて出家する道を法然上人から示されたかったのかもしれない。だが法然上人の答えは違った。武士として生まれ武士として生きている甘糟太郎忠綱に、その人生を生きたら良いと答えたのである。これは単純な励ましでも虚無的な答えでもなく、「他力」に生きることがどういうことかを示されたのであろう。この時に甘糟太郎忠綱は法然上人から袈裟を賜ったという。その袈裟を大鎧の下に身に着け、出陣し、戰場で念佛を称えながら往生したという。】 #
by hechimayakushi
| 2023-02-15 16:51
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2023年 01月 13日
『私説法然伝』(95)助けてほしい⑩ 先月号では法然上人の弟子になる武者・熊谷次郎直実について書きました。今月号はその続きについて書きます。 【法力房蓮生は法然上人の弟子としてただついて回るだけで収まるはずもなかった。自らの念佛道場を建立することにしたのである。 その念佛道場をどこに建立すべきか悩んだ法力房蓮生は師の法然上人に相談する。そこで法然上人は、かつて法然上人が遊蓮房円照の庵で暮らし、日本において初めて本願念佛の教えを広められた西山粟生の地を勧められたのである。 建久九年(一一九八年)法力房蓮生はさっそくその地に恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)作と伝えられる身の丈六尺七寸の阿弥陀如来立像を安置する念佛三昧院(ねんぶつざんまいいん)を建立したのである。開山上人に法然上人をお招きし、自らは第二世となった。 法力房蓮生は法然上人に勧められて一日六万遍の念佛を申されたと言う。関東へ向かう際は西の方角を向きながら乗馬したとも言われるほど、何もかもが愚直とも言われるほどまっすぐな念佛の人生を過ごした。 建永元年(一二〇六年)彼は予告往生を行う。翌年の二月に往生すると宣言したが、果たせず、九月に再予告を行い、大往生した。日付は吾妻鏡と法然上人伝記とで違いはあるが、とにかく最初から最後までまっすぐであった。 彼の建立した念佛三昧院は今日、西山浄土宗総本山光明寺として、日本における本願念佛の根源地として、今も法然上人の広められた本願念佛を守り続けているのである。熊谷次郎直実こと法力房蓮生が広げた縁は今も生き続けているのである。】 ここまで法然上人と本願念佛を通して縁がつながった人々の人生を書いてきました。それぞれがそれぞれの「助け」を求めていたのだと思います。西方極楽浄土への往生を目指すのが浄土佛教の目的でありますが、法然上人の教え伝える本願念佛とは、西方極楽浄土への往生と同時に今生きている時にどう生きるのか、それも往生であるわけです。「助け」とは佛に助けられることであり、その助けられることでどう生きるかが本願念佛の生き方なのです。
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by hechimayakushi
| 2023-01-13 17:06
| 私説法然伝
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2023年 01月 01日
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