2022年 12月 14日
『私説法然伝』(94) 助けてほしい⑨ 先月号では法然上人の弟子になる武者・熊谷次郎直実について書きました。今月号はその続きについて書きます。 【本願念佛の教えに生きる僧侶とは、決して善人になることを目指すのではない。しかし佛という善を目指すことである。本願の意味を知ることは佛の善を知ることであるからだ。我々衆生とは善を知ることはできる。しかしその善を我々がつくることはできない。我々のつくる善には「はからい」どうやっても勝手に何かしらの思惑であるとか欲求がはいりこんでしまう、だから佛の善のような完全な善とはならない。完全な善とは、善因善果つまり良い因縁によって良い結果になるというものであるが、我々が思い行う善がそうなるとは限らないのである。善かれと思ってやったことが思わぬ悪い結果を生み出すこともある。善因悪果となるかもしれないから我々の善は佛の善にはならないのである。 これをまた言い換えれば、自分で自分を助けることができないということでもある。本願の念佛とは、佛の願いと救う力によって自分が助けられているのだと自覚するはたらきである。それを言い換えれば自分で自分は助けられないということである。そして他者も助けられない。だから本願念佛の教えに生きる僧侶は、他人を助けることはできない。しかし助かるということはどういう事かを知ることができるし、知ったならばそれを他者に伝えることもできる。だからこそ法然上人はただひたすら本願念佛の教えを説かれつづけた。そして熊谷次郎直実のようにその教えを聞き、本願念佛の教えの意味を知ることで救われる者がいた。それは善因善果であるが、あくまで本願念佛による善因善果であり、阿弥陀佛による善因善果である。阿弥陀佛という佛の善によって善が生み出されるはたらきの中で生きることが、本願念佛の教えの中で生きる僧侶にとっての善である。 熊谷次郎直実には助けてほしいという願いがあった。その助けてほしいという願いはすでに阿弥陀佛によって成就されている。だがそれを知ることは、佛の善によって知ることになるが、その善に出会えるかどうかは我々の「縁」次第である。縁があった熊谷次郎直実は自分自身もまた縁を広めるため僧侶となった。そして実際にその「縁」は広がっていくのである。】 熊谷次郎直実こと法力房蓮生の僧侶としての生き方を追っていくことで、実は僧侶という生き方そのものが見えてくるような気がします。
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by hechimayakushi
| 2022-12-14 22:54
| 私説法然伝
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2022年 11月 13日
『私説法然伝』(93)助けてほしい⑧ 先月号では法然上人の弟子になる武者・熊谷次郎直実について書きました。今月号はその続きについて書きます。 【法然上人の弟子となった熊谷次郎直実は、名を法力房蓮生(ほうりきぼうれんせい)と改めた。僧となっても熊谷次郎直実という一個の男子の本質はあまり変わらなかった模様ではある。 ある時、九条兼実卿が法然上人を招くことがあった。蓮生は押しかけ従者としてついて行くことにした。九条兼実卿の館では法然上人は一人九条兼実の部屋を通されたが、従者である熊谷次郎直実は控えの間で待つことになった。どうしても法然上人の話が聞きたい蓮生は大声で「この娑婆世界ほど嫌なものはない、これが極楽浄土なら自分も平等に法然上人のお話が聞けるものだろうに」と聞こえるように言ったという。九条兼実卿は驚いて法然上人に誰がいるのかと尋ねた。法然上人が説明すると、九条兼実卿は蓮生も部屋に招き入れたという。この逸話は説教のための話とも言われているが、ここにも蓮生こと熊谷次郎直実の大事な点が示されているのである。それは彼が実に明確に本願念佛を理解していたということである。関白というこの世の頂に立つ超大物の前でも物怖じせずに文句を言えるのは熊谷次郎直実という男の胆力のたまものだろうが、極楽浄土なら平等に法然上人の話を聞けるだろうにという内容からわかるのが「極楽浄土には身分差別などが無い」という事であり、つまり本願念佛は身分差別などを一切否定する性質があることを蓮生がよく理解していたという点である。 本願念佛とは、ただ佛が衆生を救うのであるが、衆生は等しく救うべき存在だから救われるのである。つまり佛という完全な「善」に対して衆生は「悪」だから救うということである。完全な「善」が成立するためには「悪」があってはじめて成り立つのである。その「悪」の世界がこの世の娑婆世界であり、「善」の世界が極楽浄土となる。だから極楽浄土には差別など存在しないのである。だからこそ蓮生はこの世で大声を上げたのだ。彼もまた悪であるからこそ、声を上げたのである。】 熊谷次郎直実は法力房蓮生という名前をいただき僧侶となりました。そこで第二の人生のスタートなるわけですが、僧侶になるということがどういうことなのか?という事を彼の生き方が我々に示しているように感じます。本願念佛を信じる僧侶とは「善」を目指しながら「悪」の中で生きることになるのです。
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by hechimayakushi
| 2022-11-13 18:58
| 私説法然伝
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2022年 10月 13日
『私説法然伝』(92)助けてほしい⑦ 先月号では法然上人の弟子になる武者・熊谷次郎直実について書きました。今月号はその続きについて書きます。 【熊谷次郎直実はなぜ短刀を研ぎ始めたのか?不思議に思った法然上人の弟子の問いかけに熊谷次郎直実は「もし腹を切れば極楽浄土へ往生できると言われたら腹を切るためだ」と答えたという。これは後代の説経の為の説話であろうが、実はここから一つの事がわかる。熊谷次郎直実は法然上人に何を求めていたのか、という点が簡潔に示されているのである。つまり極楽往生そのものである。それが可能なのかどうか、また可能ならばどうすれば良いのか、その点を熊谷次郎直実は法然上人に聞きたかったのである。 法然上人と面会した熊谷次郎直実はその点だけを問いただしたのであろう。職業軍人であり戦場で生きてきた坂東武者そのものでしかない熊谷次郎直実という男が、本当に極楽往生できるのかどうか?その一点だけを法然上人に問うたのである。 法然上人のお答えはシンプルであった。「できる」と答えられた。正確には「できている」であるが、同じことであろう。理由は簡単である。阿弥陀如来がそうしたからである。阿弥陀如来が現に阿弥陀如来となっているということは、誰もが必ず極楽往生できるからであり、できたからでもある。でなければ阿弥陀如来という佛にはならないと誓っているのである。しかし、それだけのシンプルな答えに熊谷次郎直実は泣いたと伝えられている。若者を殺さなければならなかった事で泣き、自分は救われると確信して泣いた。この点から熊谷次郎直実という一人の人間の個性が浮かび上がって来る。彼自身は好んで殺生をしていたわけでもなく、そういう環境と状況で生まれ育ったわけである。だが坂東武者という生き方が彼には向いていたのも事実であり、だからこそ義経麾下(きか)という当時最強の戦闘集団で先駆けを出来るほどの戦士であり、的を立てるだけの役目に屈辱を覚える程の武人としての矜持を持っていた。だからこそ彼にしかわからない苦悩に満ちていたのであろう。彼の生きた経緯は一方通行な見方をすると罪だらけかもしれないが、同時にその罪は彼の内面性を複雑にし、その罪を向き合わせ続ける苦痛を生み出していたのである。その苦痛が法然上人の一言で消え去ったのだ。これは彼にとっての回心そのもであった。】 #
by hechimayakushi
| 2022-10-13 14:52
| 私説法然伝
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2022年 09月 28日
2022年 09月 14日
『私説法然伝』(91)助けてほしい⑥ 先月号では法然上人の弟子になる武者・熊谷次郎直実について書きました。今月号はその続きについて書きます。 【熊谷次郎直実は京の都へ来た。伝記本によればそこで聖覚法印(せいかくほういん)(信西入道の孫)を訪ねたという。法然上人の教えを信じていた聖覚法印であったので、熊谷次郎直実に法然上人のところへ行くよう勧めたという。そこでどのような問答があったのかは不明だが、すでに法然上人の事は知っていたはずである。そうでなければわざわざ京の都へ来る必要もない。伊豆で出会った念佛僧(尼僧と伝えられている)から情報は得ていたはずである。なので取次のような形でまずは聖覚法印に面会したのではないだろうか?そして満を持して法然上人との面会となったのではないだろうか?おそらく建久年間において法然上人はすでにそれなりの数の信徒を抱える教団を築きつつあったのではないだろうか?無論、南都北嶺または門跡寺院のような所領を持つほどの勢力には足元にも及ばないであろうが、教団として着実に成長していた事は九条兼実ほどの実力者も信徒となっていることから推察出来る。九条兼実、善慧房證空、熊谷次郎直実、という三者が法然上人と関係を結ぶ、それらは関係が無いように見えるが、今の時代から見つめ直すとまた見えてくるものがある。その一つが九条兼実が法然上人との関係が深くなるということは、同時に経済的にも関係が深くなるということである。つまり最大の「檀家」とも言えるのである。それによって法然上人の「教団」が維持され弟子を増やすことが出来るようになる。そうなると善慧房證空のように最初から法然上人のもとで学びたいという者が現れてくる。法然上人のもとで学んだ者が増えれば、それを各地に伝える者も増える。それによって熊谷次郎直実のように坂東武者も法然上人を訪ねて弟子となることが可能になったのである。こうして法然上人の支持者は増えていったのである。 だが、それは喜ばしい事ばかりでもなく、やがて法然上人の人生に深く影響する出来事の始まりでもあった。 熊谷次郎直実が法然上人の吉水の坊舎を訪ね、面会する日がやってきた。法然上人を待っている間、熊谷次郎直実は短刀を取り出し、研ぎ始めたという。】
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by hechimayakushi
| 2022-09-14 19:27
| 私説法然伝
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